おひとりさま 荷風
- 2016/05/30
- 12:21
歴博のミュージアムショップには本のコーナーがあり(置かれているのは勿論歴博的な本です)、歴博に行くと必ず小物と本を買って帰ってくるのですが、今回そこで気になって手に取った本の一つです。
買おうか迷いましたが小物にお金を使いすぎたので自粛💧(前記事参照)しかし帰宅後も気になり例の如くAmazonを見てみたらアウトレットで¥298であったので即買い。
Amazonアウトレットって何なのか知らないのですがアウトレットらしい😅
「ほぼ新品」ということらしかったですが?届いた商品はどこから見ても新品でした。(?_?)いずれにしても安く買えて良かったです。でも誤植がありました。確か二ヶ所だったかな?この値段なら良しとします。
因みにこの崙書房(ろんしょぼう)という出版社は流山(千葉県)にあるらしく(茨城にも営業所がある様です)、「1970年創業。房総の歴史、地理、自然、人々、生活等にテーマを求め、千葉の風土に根差した出版社です。」だそうです。(オフィシャルウェブサイトより)
色んな出版社があるんだなあと興味深かったです。
永井荷風は『すみだ川』しか読んだことがないのですがとても感動しました。それで興味を持ってwikiで見てみたら、文化勲章を受賞した立派な文豪だが、大変偏屈で色好き。結婚はしたがすぐ離婚し、以降はずっとおひとりさまで(養子がいたが親しいつきあいはなかったらしい)最期は全財産を入れた鞄を傍に孤独死したとあり
(@_@)衝撃を受けました。特に大金を傍に孤独死したというところが。
如何にお金だけが頼りだったのかを象徴する死に方だなと思いました。
なのでこの本を見た時に気になりました。自分もおひとりさまだからかも。
そんな荷風が晩年を過ごしたのが千葉県市川市。なのでこの本も崙書房から出て、千葉にある歴博に置かれていたのだなと。
なるほど(-.-)
裏表紙に書かれている言葉
荷風は多分長生きし過ぎたのだろう。(因みに享年79)あるいは少しばかり生きた時代が早すぎたのかもしれない。
・・・老いの日々をどう生き、どう終末を迎えるか。荷風の生き方と死は、高齢化社会の真っただ中にある我々にそれを問いかけているようである。
孤独死が珍しくない時代。説得力あるなあと思いました。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
高山/修一
昭和20年6月、石川県に生まれる。昭和44年、朝日新聞記者。本社デスク、山形総局長、京葉支局長など。定年後も千葉県内の一線で記者を続け、平成24年に退社。現在、日本ペンクラブ会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
Amazonより
内容はざっくり言うと『断腸亭日乗』他荷風の著作をひもときながら、それプラス荷風に関わった人たちが荷風を語った諸書をもとに荷風の市川時代をたどったものです。
お断りとして荷風の作品は原文から引用したが、今日殆ど使われることのない旧字体、異字体は一部新字体、またはひらがなにした。とあります。が、その荷風の作品が引用された文章を読むのが大変でした💦漢字辞典と電子辞書を片手に読みました。この本はルビが一切ありません。私が『すみだ川』を読んだのは青空文庫ですがルビがあるものを読んだので苦労せずに読みましたが無いとこんなに大変なんだと💦
元から漢字に明るくないというのもありますが。例えば翡翠と書いてカワセミ(鳥)、蘆荻でロテキ、聳ゆる(そびえる)等々。
ところどころに本人や関係者、縁の場所の写真と、この手描きマップがありました。このマップには和みました☺。自分も京成線沿線に住んでいるので親しみを感じます。
市川については何も知らないのですが行ったことはあります。車で行って道に迷って川の向こうにスカイツリーが見えた時、地理音痴の私もここは東京に近いんだなと実感しました。荷風も市川は東京にすぐ出られるのが好都合だったと本にありました。
荷風が当時の市川の田園風景と松林をとても愛していたというのが印象的でした。田んぼに白鷺と水流に翡翠を見たのは伊豆で見た以来で50年ぶりというエピソードにびっくり😨白鷺が飛ぶのを見て少年時代を思い出したとあります。ということは荷風は明治12年東京生まれですがそんな昔から荷風がいた場所では50年間白鷺は見なかったということですよね。
翡翠は私は見たことが無いですが千葉に来てから白鷺は日常の中で普通に見かけるので(今もです)これはかなり衝撃を受けました。でもそう言われてみれば私が小学生まで育った東京都下でも白鷺は見た記憶がありません。当時周りに畑はあったけど田んぼが無かったからでしょうか?でも白鷺って畑にもいるけどな?
それとこの辺りには松林は無いし、自分の生涯でも松林を目にしながら暮らした記憶が無いので市川には松林が多かったというのも印象的でした。
荷風が散策で足をのばした船橋に昔存在し、著名人も訪れたというという大きな娯楽施設『三田浜楽園』も初めて知り興味深かった👀昔市川駅前にあったという闇市の様子や、そこで買ったもののメモ(家計簿の様な)も面白かった。
闇市の話のところで荷風が「カストリ雑誌」を立ち読みしているのを見かけた人の話があった。カストリ雑誌という言葉を始めて聞いたのでネットで調べてみたら戦後発行された大衆向け娯楽雑誌で、粗悪な紙に印刷されていて内容は主にエロ・グロだったと。wikiに主なカストロ雑誌としていくつかの名があり、そこに「赤と黒」と「りべらる」があった。たまたま歴博で見たばかりだったので驚いた👀
こういうことも勉強になりました。
画像の右上のオールナイトという雑誌だけどういう雑誌なのか調べても分かりませんでした。知ってる人は教えてください☺
荷風はかなりつきあいにくい人だった様で、下宿した家でも家賃は払わず庭に放尿したり畳に焦げあとを沢山つくっても全く気にしない。出版社からの差し入れのお酒やお菓子なども同居人たちには一切分けない。三味線の師匠の家で、三味線で生計をを立てているのに三味線の音がする度に癇癪を起こす。等々話を聞いていると傍若無人としか思えないお人柄😱
そんな風だったから家主とその家族との折り合いは悪く、その溝は果てしなく深かった様です。家主の旦那さんは仕返しが怖いから荷風については何も言わないが、荷風が亡くなったら洗いざらいぶちまけると言っていたらしい。現実は荷風よりも早く逝き、家主の奥さんの方は生涯荷風の話はしたくないと言っていたそうです。溝の深さが伺われますね。
一芸に秀でていても人間としては尊敬できない人は結構いるのかもしれませんね。
でも老後破産の後孤独死というパターンが増えている現代で、孤独死したとはいえ、お金に困っていなかったのは立派だと思います。でも生活は結構質素だった様で暮らしていた家も質素だった様だし病院にも行かずに一人でお金を沢山遺して(有効に使いきれずに)死んだのはなんとも言えないなあと😖もしかしたら100歳まで生きると思っていたのか?もし生きたとしても十分なお金(今のお金に換算して億単位の)があったのに。病院が嫌ならせめて誰かに介護してもらえば良かったのにと思うけれどそれもきっと嫌だったのでしょうね。
人から見れば何故??と思うところが多々あれど、本人は自分に正直に生きた人だったんだろうなと思いました。
これはこの本ではなくてwikiからですが
>「著作権は『刊行会』が相続しては」との打診に、養子永光は同意しなかった。永光は、銀座でバー「徧喜舘」を経営していた。なお、荷風の作品の著作権は、2010年1月1日に切れている。
人様のことだけど私なら養子と言えども殆ど交流の無かった人に著作権を相続させるのは嫌だけどなあ。荷風はそういうことは無頓着だったのかな?山田洋次監督の『家族はつらいよ』で熟年離婚をしたがっていた年配の女性が子供たちに離婚をしたら生活費はどうするのかと訊かれた時、(若くして亡くなった作家だった弟の)印税が入るからと微笑みながら言っていたのを思い出した。
色々勉強になったし色々考えさせられた本でした。
因みに結構小さめで薄い本ですが(全146ページ)定価¥1200は高いと思います。私は¥298で買ったので満足しましたが。
満足度
★★★★★★★