1994 107分 イタリア/フランス
実在した詩人パブロ・ネルーダに材を取ったA・スカルメタの原作を基に、イタリアの喜劇俳優M・トロイージが病に蝕まれた体で映画化にこぎつけた執念の作品。1950年代のイタリアを舞台に、ひとりの素朴な青年の成長をあたたかい眼差しで描き出している。
ナポリの沖合いに浮かぶ小さな島。そこへチリからイタリアに亡命してきた詩人パブロ・ネルーダが滞在する事になった。老いた父と暮らし、漁師になるのを望んでいない青年マリオは、世界中から送られてくるパブロへの郵便を届けるためだけの配達人の職につく。配達を続ける内に、年の差も越えて次第に友情を育んでいく二人。詩の素晴らしさを知ったマリオは、詩の隠喩についても教わる。やがてマリオは食堂で働くベアトリーチェという娘に一目惚れし、彼女に詩を送ろうとするのだが……。
異邦人との触れ合いによって、自分の故郷をもう一度見つめ直す主人公の姿が静かな感動を呼ぶ。逮捕命令が撤回されてパブロはやがて母国へと帰っていくが、それ以降の展開こそが重要な物語だ。パブロに届けようとマリオが島の様々な音を集めていくシーンなど一番の見せ場と言ってもいいだろう(もちろん美しい撮影と情緒豊かな音楽も忘れてはならない)。友を、女を、故郷を愛する事の素晴らしさが淡々とした演出の根底に確かに息づいている。P・ノワレの笑顔とそれに負けないくらいのM・トロイージの表情。惜しくも彼はこの作品のクランクアップ直後に他界してしまったが、ここにその足跡はしかと刻まれた。
オリジナル完全版で見ました。感動しました。
この感動は『ニューシネマパラダイス』 以来です。
映像も音楽も美しい。でも私が感じたのはイタリア語ってやっぱり美しいなということでした。特にマリオが波の音を録音しながら「ピッコレ」(小波)「グランデ」(大波)と言っていたシーンが好きです。昔イタリア語をかじったのですが、きっかけはイタリアが好きとかじゃなくて言葉の響きが美しかったからです。音楽の様な言語だなと。今でもそう思います。特にマッシモ・トロイージみたいに淡々と話されるとそう感じます。
でも一つ不自然さを感じることがあり。マリオはこの歳まで一体何をして生きていたのかということです。それが見えない。彼の暮らす地方の1950年代の様子は知りません。でもおそらく彼の家庭環境からすると義務教育は受けていない様な気がします。あの時マリオは40歳位だから生まれたのは1910年代。だとすると余計そう思います。つまりあの時代の貧しい家庭の子達は文盲ではないのかなと。それと三上博史さんのナレーターで有名な番組(私も大好きです)を見ると、大体村の人たちは皆知り合いです。なのでマリオがベアトリーチェに一目惚れするシーンも「何で今頃なの?昔から知ってるでしょ?」と突っ込みたい気持ちもしました。久しぶりに会ったら美しくなっていた?だとするとやっぱり、それまで何をしていたの?と思う。イタリア人は皆バルに行くでしょ⁉不思議だ(笑)要するに設定からしてマリオがちょっと歳を取りすぎている。
それを差し引いてもやっぱり素晴らしかった。マッシモ・トロイージの朴訥さが素晴らしい。他の役者もいい。
そして見る人誰もがマリオとマッシモを重ねますよね。それが本当に胸が痛い。でも命を削って本当に素晴らしい仕事をしたことを彼は誇りに思っていると思うし、悔いは無かったと思います。
一つ思うにベアトリーチェとパブロは怪しい香りがしますね。
結末に関しては賛否があると思いますが、私は納得できました。
TV(BS) にて
★★★★★★