1967 105分 フランス
寒々としたアパートで、たった一羽の小鳥とともに暮らす孤独な殺し屋。が、あるピアノ弾きの女と関わった事から警察にマークされた彼は、やがて自ら死地に赴いていく……。仏フィルム・ノワールの巨匠J=P・メルヴィル監督の傑作で、徹底した硬質な画面構成と氷のような色調が鮮やかな印象を残した。他人を一切寄せつけず、己のスタイルを貫き通して死んでいく殺し屋を、日本の侍のイメージとダブらせた演出は今なお語り草で、ファンの多い作品である。線路にかかった陸橋の上で、殺し屋が他のギャングに襲撃されるシーンの素晴らしさは、何度観ても息をのむ。

存在を知りませんでしたが、ジョン・ウー(男たちの挽歌 レッドクリフシリーズ他)のお気に入り映画3本(アラビアのロレンス/七人の侍/本作)に挙げていたのを見て興味を持ち、あらすじを読んだら絶対に見たくなって見ました❗
アラン・ドロンは特にファンではありませんが、カッコいいの一言でしたね。
★★冒頭シーンネタバレ注意★★
冒頭の殺風景な部屋のシーンから既に痺れました。青いトーンも素敵なのですが窓の外の降りしきる雨、その中を往来する車の音、小鳥の鳴き声。ベッドの上で煙草の煙を燻らすジェフ・コステロ。またクレジットの字体が雰囲気があって素敵です。まだ何も始まっていないのだけれど、もう何も言うことはないという位満足。素敵すぎて(笑)。
殺し屋としては若干(かなり?)マヌケで現場で多くの人に目撃されるし、証拠となる様な情報を自分から撒いたりしていて疑問(・・?ですが、それ以外はとりあえずドロンが最高にカッコいいのでそれでよしとしましょう。それと約50年前の作品ですので警察の操作方法も今とはかなり違うでしょう。それでも地下鉄のコステロと警察との攻防などは楽しみました。
ナタリー・ドロン、黒人のピアノプレイヤーの女性共に素敵でした。コステロが腕に傷を負うシーンは迫力があった(ロケーションもナイス)。多くの人が触れているコステロが出かける前に鏡を見て手で帽子を形づける仕草(上画像)、円形ワイヤーに連ねられた鍵の束、シトロエンもやっぱり印象的だった。あと闇自動車工場?のおやじ。手際が良い。台詞は一言だけ。「言っとくがこれで最後だ」そして小鳥。小鳥のさえずりはいつもなにかに急き立てられる様な不安な気持ちになった。
これの前に見たのが『マンク』だったので台詞の量があまりに対照的だった😰(笑)。私は本作の方が断然タイプです(マンクはキャラクター的に話さなければならないのでしょう。殺し屋と脚本家の違いかな😆寡黙な脚本家もいると思うけど)。
一番思ったのはこの役はアラン・ドロンじゃなければ駄目だということ。他の誰がやっても絶対こんな風に絵にならない。あと今の時代にこういうクールな映画ってもうできないと思う。
タイトルを象徴しているのはラストシーンだと思う。何故なのかは分からないけれど理由は幾つか考えられます。グラン・トリノを思い出しました。
見れて良かったです❗映画館で観たかったです。
☆以下蛇足☆
アラン・ドロンで思い出すエピソードは2つ。
昔ドロンがスマスマに出たときに言っていたこと。
「君たちと私は似ているけれど少し違う。私は演技することと、子供を作ることしかできない。」
真顔で言っていました。アラン・ドロンが言うとカッコいいです。
もう一つはいつだったか覚えていないけどかなり昔。アラン・ドロンとナタリー・ドロン(2人は離婚して久しかった)がたまたま東京に同じ時に滞在した。ある日ナタリー・ドロンが宿泊しているホテルの部屋に戻ると部屋中が薔薇の花で溢れていた。元夫からのものだった。
この話は昔私の母から聞き、母は「素敵ね💓」と少女の様な笑顔で言っていた。私も何て素敵なのかと思った。これもドロンだからカッコいい。普通の人だとちょっと引くかな。
★★★★★★★★